卒業生からのメッセージ

活躍する先輩たち
Hiroaki Nagase
Message from Graduates

長瀬 大観

64期卒
ヴァイオリン専攻

奈良県奈良市 出身

現在の活動について

現在のお仕事について、日々感じているやりがいなども交えお聞かせください。

現在は、ベルギー王立モネ歌劇場管弦楽団に2ndヴァイオリン奏者として在籍しています。

演奏家としてのやりがいの1つ目は、総合芸術と言われるオペラの作品にたくさん触れられることです。特にワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》や《パルジファル》、ベルクの《ルル》を上演したときなどは、彼らの作品の中に頭の毛先までどっぷりと浸かって、心を根こそぎ持って行かれたような感じがしました。

2つ目は、モネオーケストラならではのフレキシブルで室内楽的な音色に自分の音を混ぜていく ことです。歌手のコンディション・演出によってのテンポ・フレーズ・間の取り方の違いに、常に耳と目を研ぎ澄ませることも、とてもやりがいのあることだと思います。

それに加え、歌劇場で働く一員としてのやりがいもあります。
交響曲をメインとするオーケストラであればリハーサルを数日行った後に本番を迎えることが多いので、1つの演奏会に関わるのは長くて1週間くらいかと思います。一方、歌劇場のオーケストラは、まず歌無しでオーケストラだけのリハーサルを3日、歌付きを2日、演出付きを3日、通しリハーサルを2日やって、ようやく本番の期間に入ります。本番は10回前後するので、オーケストラにとってリハーサルと本番を合わせた期間は1ヶ月と1週間ほどになります。
1曲にそれほど長い期間携わった経験がなかったので初めは面食らったのですが、劇場で働き始めて改めて参加したガイドツアーで衝撃を受けました。それは「このオペラをやる」と決めてから上演までに3年ほどかかるということです。まず演出家のイメージを絵に書き起こし、その絵の実現可能性を1年かけて分析し(建物を作るならその安全性なども含め)そこから2年かけて実際に建造物・大道具・衣装(かつらは髪の毛を1本1本植えるので物凄い時間がかかるらしいです)の作成をします。
オーケストラが関わる1ヶ月間のはるか前から公演準備が始まっているこの背景を知って初めて、オペラがいわゆる「総合芸術」なんだなと肌で感じました。私は多くの人が時間をかけて作っている大きなプロジェクトの一部なんだ、ということに幸せを感じています。

堀音卒業後、なぜ今の進路を選んだのか、理由やきっかけをお聞かせください。

高校卒業後は、岡山県にあるくらしき作陽大学の音楽学部に進学しました。
13歳の時に出会った森悠子先生がそこで教鞭を執られていることを知り、是非とも師事したいと思ったのでその大学を選びました。高校卒業後にそのまま留学したいなとも思っていたのですが、結果的に作陽に行ったことはとても良い選択でした。豊かな自然に囲まれた土地で、自分と向き合い、地域の方々と深く関われた経験は他に変え難いものでした。

では、どうして留学先にブリュッセルを選ばれたのでしょうか?

先ほどお話しした大学の恩師が毎年夏にフランスで開いている講習会に行った際、先生の姪御さんである安紀・ソリエール先生のレッスンを受けて、この先生に習いたいと強く思いました。それから、安紀先生がブリュッセル王立音楽院で教えておられることを知り、受験しました。

ちなみに、その後どのようにして今のお仕事に就かれましたか?

留学1年目にモネ劇場のアカデミー2期生のオーディションを受け2018−2019のシーズンに在籍することになりました。それから正団員のオーディションを受けて落ちてしまったのですが、契約団員として2019−2020、2020−2021のシーズンに在籍しました。その間に他のオーケストラのオーディションも受けましたがどれも思ったような結果が出ず…契約が終わる直前にモネ劇場正団員のオーディションをもう1度受け合格し、10ヶ月の試用期間を2022年6月に終えたところです。

ヨーロッパでの活動について

ヨーロッパのオーケストラでの印象的な経験があれば教えてください。

アカデミー生として初めて、モネ歌劇場で演奏した時のことは強く印象に残っています。演目はドニゼッティ作曲の《ドン・パスクワーレ》だったのですが、それまで自分が知っているオーケストラの世界では、指揮者が振り始めた瞬間、当然その一定のテンポで演奏が始まるというものでした。でもこのオーケストラは指揮者が振り出した瞬間、まるでそっと何かが落ちていくような、自然と少しだけ加速するような始まり方をしていたり、時間の流れがほんのすこしゆっくりと感じる余韻のあるルバート(※)をしていました。それが自然に習慣づいていましたし、とってつけたような人工的な揺れではありませんでした。なぜそれで合わせられるんだろうと驚きましたし、まるでテンポが「流れている」ようでした。テンポが動いていくことやフレーズが動いていくこと、これってなんだろうと思いました。

※ルバート:自由な速さで、速度を加減して演奏することの意。

海外での音楽活動を続ける中で、新型コロナウィルスが拡大していったと思います。具体的な
影響はありましたか?

私は、2020年3月末に初めてロックダウンが行われた直前、オーケストラ側に「向こう2ヶ月の仕事は全て無くなった」と伝えられたため、日本に一時帰国していました。そのため、最初に感染が広がった時は日本にいました。ただ、その時私は1年間の契約団員として在籍しており、2年目に更新できるかどうかは全くわからない状態でした。なので3月末に帰国したあとは「このまま日本に帰ってくることになったら、どうやって音楽で食べていこうか」と色々模索していました。せっかく頂けた1年契約がコロナで実質半分無くなってしまったことは、やはり残念でなりませんでした。
ですが、オーケストラにどうしても契約を更新したい旨を伝えたところ、なんとか更新することが出来ることになったので2020年8月末にベルギーに戻りました。戻ったあとも演奏会が中止になったり再開したり…の繰り返しでしたが、今年でこの先の進路が決まらなければ帰国すると腹にきめ、いろんなオーケストラの入団オーディションを受けていました。コロナでコンサートがキャンセルになったぶん練習する時間が充分に確保できた、という側面もあるかもしれません。なかなか思ったような結果が出ず苦しみましたが、2021年5月に行われたモネ歌劇場の入団試験に合格し、正団員になることが出来ました。

現在、日本よりもウクライナが近い土地で音楽をしていて、考えることがあれば教えてくださ
い。

私は、ウクライナから避難してきた音楽家をソリストに迎えた室内楽の演奏会に何度か出演しました。避難して来られた音楽家の方々は、収入を求めて仕事を探すのに貪欲でした。私が通っていたブリュッセル音楽院にも、ウクライナでヴァイオリンを学んでいた避難民の子どもたちが通うようになり、無償で教育や衣食住を受けています。ウクライナと国境を接している国々と比べれば避難民の方々は少ないですが、それでも身近に感じることは多いですね。
もう1つは、ベルギー政府からのお達しで、『国民は薬局に「ヨウ素剤」を取りに行ってください(無料)、飲むタイミングは政府から指示があります』とあったことです。これはウクライナの原発が爆撃されるかどうかと騒いでいた時のことで、ヨウ素剤とは体内被曝を防ぐ薬のことです。なんでも、薬を飲むタイミングが被曝より早すぎても遅すぎても効果が薄いとかで、指示を待て、という内容でした。薬局の店員さんに話を聞いたら、来るお客さんの3人に1人がその薬を取りにきてるだとか。そんな薬を持ったこともなかったし、話がかなり現実味を帯びていて、戦争を肌で感じた出来事でした。まだ終わったことではありませんが…

音楽との出会いから堀音入学まで

音楽はいつ頃から始めましたか?また、そのきっかけは何ですか?

ヴァイオリンは4歳から始めました。
きっかけは、私の通っていた幼稚園で隔週でヴァイオリンの授業をやっていたことです。みんなで「キラキラ星」などを弾いていました。なぜか皆より早めにヴァイオリンを始めたかったので、3歳の時に地元のヴァイオリン教室にレッスンを申し込みに行ったのですが、そこではヴァイオリンより先にソルフェージュを始めるように勧められ、半年ほどソルフェージュ(主に視唱)だけのレッスンを受けた後、ようやくヴァイオリンを始めました。

堀音に入学したいと思ったのはいつ頃でしたか?
また、堀音を知ったきっかけは何だったのでしょうか?

私は中学2年生の時に半年ほど不登校の時期があり、その期間はヴァイオリンからも離れていました。
理由は色々ありますが、クラスメートとの関係性や、当時習っていた先生の優秀な門下生の方達と自分のレベルの違いに、劣等感を強く感じて苦しんでいたこと、あとは単純に思春期特有の繊細な部分など、いま振り返ってみると色々重なっていたと思います。
そんな時に、両親が堀音の情報を見つけてきてくれました。父は『ひろあき人生の覚書』というものを作り、「普通科の高校に進学した場合」と「音楽高校に進学した場合」を比較して示してくれました。
(授業内容、友人関係のことなど)いま見直してみると笑ってしまうような内容もあるのですが、両親は不登校で音楽をやめようとしていた私を心配し、希望を持たせようとしてくれていたのだと思います。堀音に進学するきっかけは父が作ってくれた、と言えると思います。

最終的に堀音に進路を決める前に、迷いや悩んだことはありましたか?

私は堀音の存在に救われたタイプなので、特に無かったですね。

堀音の受験を誰かに反対されましたか?

初めは中学校の先生に、普通科高校にしといたら…?と言われましたが、最終的に「長瀬がんばれ!」と背中を押してくれました。

堀音での経験について

実際に堀音に入学してからはどんな心境でしたか?

めちゃくちゃ楽しかったですね。新しい世界で、同級生みんなが音楽をしていて、それぞれに目指しているものがあって、音楽のことを話せて…。とにかくワクワクしていました。

堀音に入学してみて、新しく知ったことや迷ったこと、変わった部分はありましたか?

新しく知ることばかりでした。それまでただ好きだった音楽を、楽典・ソルフェージュ・音楽史など多方面から見ること、いわゆる音楽の教養的な部分を学んでいたと思います。
また、『音楽』という共通のものを学んでいる友達と過ごす環境は、人間関係で悩むことの多かった私の心を解いてくれたところはあります。

高校生活3年間で、堀音だからこそ学べたことはありますか?

皆で1つの演奏会を作り上げていくことです。もちろん皆で演奏すること、それに加え楽譜の用意や、舞台のセッティングを効率よく行うことを考えたり、エキストラの方々に出演依頼のお電話をしたり、プログラムに掲載する広告をお願いしに行ったり…という演奏会に向けてのあらゆる準備段階を経験できたことです。

堀音に入学して良かったと思っていることを教えてください。

音楽の仲間が出来たことです。これに尽きます!!!

高校生活で想い出に残っている出来事や強く印象に残っていることを教えてください。

同級生の男子5人で、1年生の時に天橋立に旅行したことは良い思い出です。山田くん(64期・クラシックギター専攻)が寝坊して4人だけで先に電車に乗りました(笑)。レンタサイクルをして、最終的には山田くんのお母様のご実家にお邪魔し、イカソーメンを頂きました。後日、一緒に行った男子メンバーが旅行中に撮影した写真をまとめたアルバムを作ってくれたりして…
それから、高校生活中に同級生を亡くしたことを挙げないわけにはいかない、と思っています。その人は誰よりも知的で、並大抵ではない努力家でした。話す度に自分の考えの浅さを思い知らされるような、そんな深い人間でした。最も尊敬する大切な友人を亡くしてしまったこと、またその時に感じたことは、自分の深いところにずっと存在しています。これからもその人と過ごした時間や記憶を大切にしながら、共に生きていきます。

今現在も役立っている高校生活での経験等があれば教えてください。

視唱や聴音といったソルフェージュは本当にやっておいて良かったです。今思うと、ものすごく実践的な授業でしたね。

参考までに、堀音で「もう少しこれがあればよかった」と思うことがあればお聞かせください。

もっと堀音の受験生が増えるといいな、と思います。

将来の抱負/夢について

ご自身の今後の抱負や将来の夢があれば、お聞かせください。

色んな国に行ってその国の風土・食・人と関わるなど、そういう体験をしたいです。自分の中の見聞を広げていきたいと思いますね。その一貫で、ヨーロッパで車を運転して色んな国へ行きたい!地続きだから長時間運転楽しめればどこへでも行けますよね?きっと。

小学生・中学生へのメッセージ

音楽を志す小学生・中学生へのメッセージ、アドバイスがあればお願いします。

ぜひ堀音のオーケストラ定期演奏会を聴きに来てください!!
京都コンサートホールで行われるオーケストラ定期演奏会や卒業演奏会は、在校生全員が出演しています。舞台に立っている在校生たちはみんな、今できることの限りを尽くして命を燃やしています、そこには彼らの『夢』があります。あの素晴らしいホールで「自分もその一員になるのかもしれない」と思って、在校生たちと一緒に夢を見て欲しいです。そして『未来の自分』を見つけてほしいです。

堀音に入学して良かった事は、
音楽の仲間が出来たこと。
これに尽きます!!!

長瀬 大観

Hiroaki Nagase

略歴

奈良県出身、ベルギーのブリュッセル在住。
サクソフォン奏者の父とピアノ奏者の母との間に生まれ、音楽に夢中な幼少期を過ごす。幼稚園でのヴァイオリン隔週授業をきっかけに、4歳でヴァイオリンを習い始め、京都市立京都堀川音楽高等学校、くらしき作陽大学音楽学部を卒業したのち渡欧。ブリュッセル王立音楽院を経て、現在ベルギー王立モネ歌劇場管弦楽団第2ヴァイオリン奏者として在籍中。ブリュッセル室内合奏団メンバー。
イタリアでのピエトラサンタ音楽祭、エルバ島音楽祭にてGordan Nikolith,Mario Brunello,Michael Guttmanらと共演。
読売新人演奏会出演。
故石井純、五十嵐由紀子、故工藤千博、村瀬理子、森悠子、安紀ソリエールの各氏に師事。

インタビュー実施日:2022年7月27日 現在の情報